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誰が山を汚して、戻すのか? 登山家・野口健が現場に行く理由誰が山を汚して、戻すのか? 登山家・野口健が現場に行く理由誰が山を汚して、戻すのか? 登山家・野口健が現場に行く理由誰が山を汚して、戻すのか? 登山家・野口健が現場に行く理由誰が山を汚して、戻すのか? 登山家・野口健が現場に行く理由誰が山を汚して、戻すのか? 登山家・野口健が現場に行く理由

野口 健

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誰が山を汚して、戻すのか?
登山家・野口健が現場に行く理由
アルピニスト 野口 健

誰が山を汚して、戻すのか?登山家・野口健が現場に行く理由

update 2024.05.17

# 山林

# 廃棄

# ローカル

# 教育

# 環境

1999年にエベレストの登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立したアルピニストとして知られる、野口健 氏。一方で、2000年からはエベレストや富士山での清掃登山を開始し、全国の小中学生を主な対象とした「野口健・環境学校」を開校するなど、環境問題への取り組みも積極的に行っている。

2007年には大分県にて開催された「第1回アジア・太平洋水サミット」の運営委員として、温暖化による氷河の融解を取り上げる先導役を務め、各国元首級への参加を呼びかけた。現在は、清掃活動に加え地球温暖化による氷河の融解防止にむけた対策に力を入れており、北海道洞爺湖サミットでは政府に対し現場の状況を訴える等、精力的に活動を行っている。

世界の山々を踏破した登山家の目には、今の世界、そして日本の環境はどのように映っているのか。姫路市のダイセル イノベーションパークで行われた、Bipass編集部とのトークイベントの様子を紹介する。

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トークイベントに登壇した、アルピニスト・野口健 氏。イベントは2024年3月に行われた。

美しさだけで語れない、登山の現実

―野口さんは2015年にネパールで大地震に遭遇してから、被災地への支援活動にも尽力されており、2024年元旦に発生した能登半島地震の被災地にも通われてると伺っています。

野口健 氏(以下 野口):今年の1月、2月はほぼ毎週ね。ヒマラヤにいく予定だったので一ヶ月ほど予定を空けていたんですけど、地震が起きてそれどころじゃなくなった。冬の避難所がダンボールと薄い毛布だけではとてもしのげないということで、寝袋を9,000個ぐらいピストンして届けたり、野球場を借りてテント村をつくったり。

―能登半島の支援はアクセスの難しさもあると伺ってます。

野口:1月は車で6時間から8時間かかりましたね。今は半分くらいの時間で行けるようになりました。ボランティアがなかなか集まらなかったり、自治体も疲弊しきってるので、まだまだ大変な状況が続いています。それでも、何が足りないか、何を欲しているかは現地に行かないと見えてこないし、行政や自治体と連携して手順を踏まないとトラブルになりかねないので、そこは丁寧にやっています。

―Bipassは資源の新しいルートを探る、この先の社会の資源のあり方を掘り下げていくメディアです。 環境に資する活動をしている野口さんに、そのあたりのヒントをぜひお話を聞かせていただこうかなと。

野口:ヒントねぇ…ないかも。探してみてください(笑)。

―いえいえ。まず、野口さんが山のゴミ問題に取り組むことになったきっかけについて教えてください。

野口:環境問題とか社会課題とかね、そんな大層なことを言える人間ではないんですよ。高校時代にグレて人を殴って停学になって。そうやってフラフラしてる時に偶然、植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」を読んで感動して、登山を始めたんです。だから山に登り始めたきっかけは停学…あれ、質問はなんでしたっけ?

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右から、聞き手を務めたBipass編集部メンバー 佐藤・Bipass編集長 後藤。

―(笑)登山をする中で、清掃に興味を持たれたきっかけはなんでしょう?

野口:きっかけはエベレストなんですよね。1997年に初めて登ったんですが、実際に登ってみるとギャップがありすぎた。

―ギャップというと?

野口:テレビとか写真で見るエベレストは美しいでしょう?でも実際に登ってみたら、ベースキャンプから上の方までゴミだらけ。入山したら二ヶ月くらいは山で生活しなきゃいけなくて、累計数千人が登ってるわけですから、食料から生活用品から排泄物までゴミが溢れているわけです。そしてエベレストは氷河の世界なので、食べ物だろうが大便だろうが分解してくれない。穴掘って埋めればいいや、では済まないんです。

―冷寒だからこそ、ずっと残り続けてしまうんですね。

野口:それも乾燥してるわけじゃないので、ほっとくと麓のシェルパの生活圏まで流れ込んでしまう。僕は20年前から排泄物は持って帰ろうという呼びかけや活動はしていたのですが、ウンチを持って帰るという文化はなかなか受け入れてもらえず、浸透しなかった。ネパールの自治体が排泄物の持ち帰りをルールとして義務化したのは、本当に最近のこと。とにかく、思い描いていたエベレストと現実の違いにびっくりしたというのが、ゴミ問題を実感したきっかけですね。

世界の登山家から見た“Mt.Fuji”

―野口さんはエベレストと同じく、富士山の清掃にも積極的に声を上げ続けてきました。こちらはどのようなきっかけだったのでしょう。

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野口:昔、ヒマラヤに最初に登った時に、同じクルーだった外国人に「ケンよ、お前たち日本人はヒマラヤもマウントフジみたいにする気なのか?」と問われたわけです。なぜそんなことを言われたかというと、当時は日本製のゴミ、要するに日本人が捨てたゴミがヒマラヤによく目立ったんです。おそらく80年代〜90年代に捨てられた、バブルの残骸のようなゴミがあちこちに見受けられた。加えて当時、ある世界的に著名な登山家が「富士山は世界で最も汚い山だ」という言葉を残していて、そのイメージもあり富士山はゴミの多い山として海外で有名だったんです。

―このヒマラヤも、あの富士山と同じくらい日本人は汚くするつもりなのかと…。

野口:当時僕は環境問題に興味はなかったけど、そんなこと言われると日本人としてやはりカチンとくるわけです。なら本気でやってやろうじゃないかと、約20年前に富士山の清掃活動に向き合うようになったんです。

―捨てられたゴミでどこの国のどの年代かって、わかるものなんですか?

野口:ゴミを拾い続けていれば、パッケージや賞味期限を見れば大体いつの時代のものか分かりますよ。面白いもので、ヨーロッパのゴミは60〜70年代の古いものが多く、要するに早い時代からポイ捨てしてるわけです。 ただ近年になるとヨーロッパは減ってきて、次は日本のゴミが出てくる。日本のゴミが減ってくると、今度は韓国や中国のゴミが出てくる。もちろん一概には言えないですが、環境に対する各国の意識の変化、バロメーターみたいなものが山のゴミを観測してると見えてくることがあります。

―サステナビリティへの取り組みの早いヨーロッパは、捨てるのも早かったけど捨てるのを辞めるのも早かったと。面白いですね。

野口:捨て方にも時代性が出ますよ。70〜80年代くらいのゴミは堂々と捨てられてるんですけど、2000年くらいになってくるとバレないように、隠すように捨てられてるものが多くなる。でも最近はゴミ自体が少なくなり、前進しているように感じますね。

ヨーロッパは環境教育が早かったことも影響していると思うので、学校教育で、できれば座学でなく現場でゴミ問題について子どもたちに学んでもらうことも重要だと思います。それを学校の先生だけでやりきろうとするのは難しいので、私たちのような外部の専門家が一緒に組んで伝えていく取り組みをもっと広げていきたいですね。

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野口さんはSNSでも精力的に活動を発信されていますが、若い世代に考えを届けるということはやはり意識されていますか?

野口:環境の問題は、やっぱり現場に行って目にしないと実感できないと思うんですよ。僕自身がそうだったから。山や自然は、人間の心のフィルターになってくれる。だから山に登ると、救われたような気持ちになることができる。こんな僕でも、感謝するわけです。そんな山にゴミが溢れているっていう現実に直面すると、環境に全く関心がなかった僕でも行動しよう、守らなければと思える。もしかしたら今はバーチャルでもそういう体験が届けられるかもしれないけれど、山に限らず、海や川、自然に直に触れるってことは、関心を持つ一番の近道なんじゃないかな。

―実体験こそが、自分ごとになる。

野口:富士山の樹海だって、本当はとても神秘的な自然に満ちた場所なんだけど、車に乗って通り過ぎる時に本当に悪意に満ちたゴミ…産業廃棄物とかね、そういうものを見ちゃうと落ち込むし、見てしまったからにはなんとかしなきゃって気持ちになるよね。

時には引きながら、他者を想像する

―長年に渡り清掃活動をされてきた中で、「富士山は汚い」と声を上げ続けることはかなりリスクもあったのではと想像するのですが…。

野口:おっしゃる通りで、まずは一歩目として「富士山が汚い」という現状をあちこちで訴える、喋るようにしたのですが、その僕の活動自体が「世界に対して日本の恥だ」と叩かれました。当時は僕もキツい言葉使いをしてしまっていたことも相まって、かなりの誹謗中傷も受けまして。環境にまつわる活動をしているとありがちなんですが、自分が正しい、正義だと思い込んでしまい、考えの違う人に対して強く当たってしまう。

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―環境問題の似たような対立やすれ違いは、現在も様々なところで起きていますよね。

野口:活動中に一度、極限まで非難されて心が完全に折れて、ヒマラヤに逃げたんですよね。「もう日本は大変」って。危険を感じたらすぐ引く、逃げるというのは登山家の重要な才能ですから(笑)。でもそうやって引いて肩の力を抜いてみると、だんだんと僕のことを避難する人々の立場にも想像力が働いてくるんです。いろんな利権やグレーな部分が絡み合ってる領域に、正論だけ振りかざして犯人探しをするような真似をしても、反発を受けるに決まってる。

―正すべきルールがあるにしろ、その上で生活が成り立っている人もいると。

野口:僕の考え方=社会ではないし、様々な人々の生活や権利が微妙なバランスの上で成り立ってる。破壊か保護か、環境か観光かという単純な話ではなく、富士山に関わる人の誰もが前向きに生活できる仕組みをつくる必要があると。入山料をとるというアイデアも、20年前に出した時は総スカンをくらいましたけど、時代を経て実現しました。行政の内情も変わりましたし、当時僕を怒鳴りつけてた人と今では並んで清掃活動してますからね。僕らのようなNPOの頑張りだけでは課題を解決することはできないし、行政だけでもできない。被災支援も同じで、時間をかけながら丁寧に連携することが大事ですね。

―最後に、野口さんが考える「愛せる未来」とはなんでしょうか?

野口:今を愛してなかったら、未来なんて愛せないですよね。僕は今の地球、今の環境が好きじゃないと未来も多分愛せないと思うから。とにかく、今を愛せるようになることじゃないかな。

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TEXT:Shingo Matsuoka/PHOTO:Shoichi Fukumori

 野口 健

アルピニスト 野口 健

アルピニスト 野口 健

1973年8月21日、アメリカ・ボストン生まれ。高校時代に植村直己氏の著書『青春を山に賭けて』に感銘を受け、登山を始める。1999年、エベレストの登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。 2000年からはエベレストや富士山での清掃登山を開始。以後、全国の小中学生を主な対象とした「野口健・環境学校」を開校するなど積極的に環境問題への取り組みを行っている。 また2007年12月には大分県にて開催された「第1回アジア・太平洋水サミット」の運営委員として、「温暖化による氷河の融解」を取り上げる先導役を務め、各国元首級への参加を呼びかけた。現在は、清掃活動に加え地球温暖化による氷河の融解防止にむけた対策に力を入れており、北海道洞爺湖サミットでは政府に対し現場の状況を訴える等、精力的に活動を行っている。2015年4月、ヒマラヤ遠征中にネパール大震災に遭遇。すぐに「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、ネパールの村々の支援活動を行っている。

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